高校生の頃のはなし1

ぶっとおしで書き続けますよ〜!

中学生2年でファッションデザイナーになろうと決意し、中学生3年生になったころ、高校選びが始まりました。私は、服飾科のある高校に行きたくて、オーキャンに行ったりして、気分を高めていました。


ところがどっこい。

両親に「高校は、服飾科に行きたい!」と言うと、断固反対。「高校までは、普通科に行って、高校生になってもまだ服飾がしたいなら、大学か専門学校に行きなさい。」と言われました。
私は嫌すぎて、それならせめて制服可愛い高校に!と、受けた普通ぐらいのレベルの私立高校の特進科に特待生で合格し、そのノリで県立高校の推薦も受けたら、受かってしまってしまったのです。県立の推薦は絶対で、死ぬほどダサイ制服の高校に行かなくてはいけないハメになってしまいました。
それにしても、高校受験がイージーモードすぎて、調子ぶっこいてたことが、ことあとの大学受験に失敗する要因にもなっていた気がします。。。

まぁ、その話はあとにして。

この県立高校、文化祭も本当クソみたいな感じで、物販禁止、飲食禁止という本当にありえないぐらいしょぼすぎるものでした。ちなみに何するの?と聞かれたら、クラス毎の出し物で、例えばピタゴラスイッチをしたり、お化け屋敷(めっちゃしょぼい)、クラスで撮ったクソ身内ネタのダサイ映画上映をしたりといった感じでもうほんとになくてもいいぐらいしょぼいものでした。
唯一盛り上がるのは体育館ステージである有志バンドやダンスなどでした。そのステージで、家庭科クラブ委員会主催のリサイクルファッションショーなるものがありました。高校1年の頃に先輩たちが行っていたのは、ゴミとして捨てられた服をそのまま着て、適当にステージを歩いているという意味のないものでした。
服飾科を目指していたスライスは、これだ!と思い、文化祭が終わると同時に、家庭科クラブ委員会の顧問である家庭科の先生、通称ノブ子のところに駆け込みました。

「あのファッションショー、来年私にやらせてください!!!!!」

ノブ子は快く了承してくれました。ちなみにノブ子は結構な変わり者で基本的に職員室には居らず、家庭科準備室にこもりっぱなしの情緒不安定な女の先生でした。私が3年生になるころには、他の職員からいじめがあったとかなかったとかで、不登校になったというちょっと浮いた存在の先生でした。
話は逸れましたが、そんなこんなで2年生になる前に私は委員長になりました。(ちなみに今思い返すと、小学生の頃も園芸委員長やってたり、中学生の頃も区の委員長をやっていて、昔のジャイアンが活きた地味な委員長ばっかりをやっていました笑)

1年後のショーまでにやることはたくさんありました。一緒に服を作ってくれる人を募集するポスターを描いたり、捨てられるはずだった服を学生たちに呼びかけて集めたり、どんな服にするかデザインを考えたり、ショーの仕方、司会内容を考え練習したり、、
もちろん、学業もちゃんとやるし、部活には行くしで、文武両道どころか、三道だよばかやろう!。。。この頃から多忙好きは変わってないんだなぁと思います。

ちょっとESに書けそうな堅い話になってしまいました。

まぁ、そんな感じでファッションショーは無事上手くいきました。
この後、家庭科クラブの全国大会(家庭科クラブは、高校生が家庭科なんかの科目を通して、地球環境とかについて考え、どう活動したのかなどをプレゼンする全国大会があるのです。結構すごい。。)に連れて行ってもらったり、サスティナブルをデザインにどう取り入れるべきなのか?ということを考え始めたきっかけにもなりました。

5月にあったショーが終わって束の間、高校2年の夏が始まる頃、福岡県内にある服飾専門学校の高校生コンテストがあることを知り、応募してみることに。
自分でコーディネートした服を写真に撮り、コンセプトを描いた書類が一次審査通過。二次審査は、専門学校の文化祭でその服を着てランウェイを歩くというものでした。

高校の文化祭のショーで司会もしたし、これはいけるっしょ!と上がり症の自分に言い聞かせ、いざランウェイに立ったものの。。。
高校でのそれとは、全くの別物でした。ライトは強烈に眩しいし、ハイテンポなリズムの音楽が緊張する私の心臓の音をより強調させ、ファッションに興味ある自分より年上の大人や専門学生が観客として私の方を見ており、ランウェイの先ではシャッターの音が鳴り響いていました。私の足は震え、緊張で汗は止まらず、きっと顔も強張っていたでしょう。ここがどこなのか私は今一体何をしているのかわからなくなり、頭は真っ白になって、そこには恐怖しかありませんでした。

案の定、二次審査は落選。

でも、専門学校に来たら、みんなファッションのことが大好きで真剣に勉強ができると思うと落選したのなんてどうでもよくなり、早くこんなクソ高校出て、楽しい夢の世界であるファッションの世界に飛び込みたいなと強く思ったのでした。そして、もう2度とランウェイだけは歩きたくない、作った服はモデルさんに来てもらおう。。。と思ったのでした。